望月光蔵~望月光蔵~本名:富岡光蔵。諱は忠幸。 文政4年(1821)10月2日~明治23年(1890)12月5日 父:常忠は幕臣、代官手代 世の中が緩んでいた家斉の治世、祭礼には町人に混じって大騒ぎするような人物であった。 将軍家慶の代になり天保の改革で取締りが厳しくなると、その咎を受けて逼塞。家督を光蔵に譲る。 光蔵20歳くらいの時か。 こうして光蔵は代官手代としてスタート。 酒も煙草も、囲碁・将棋の類さえ避けて恪勤(かっきん。一生懸命職務に励むこと)に明け暮れる。 趣味も無く余暇は剣道。 神堂無念流斉藤弥九郎の練兵館に通い、代稽古をするほどの高弟となる。 小太刀と手裏剣はかなりの腕前。←剣術やってたんだ…。しかも手裏剣が得意って。御庭番か…? この斉藤弥九郎道場は試衛館と仲が良く、竹刀剣術がニガテな試衛館に道場破りが来ると助っ人に行っていた。とされるところ。 同門には後の衝鋒隊古屋作左衛門 今井信郎 内田庄司など 潔癖で狭量、浪人とは付き合わず無頼癖を憎悪。 幕末には神奈川奉行代官常役元締め、八十俵三人扶持、旗本となる。 これは現在の税務署兼軽犯罪警察署兼簡易裁判所にあたり、検地(隠し田探し)担当。←つまり一般人からはわりと敬遠されがちな方のようですな。 試衛館メンバーなんかは多分嫌われていたんじゃないかしら? …もしかして、土方さんと面識があったりして…! 雲井龍雄と行動を共にしたらしい。 その後やっとの思いで妻の郷里である信州長野にたどり着く。 慶喜が謹慎を解かれるとすぐに静岡へ行き家臣に復帰。 廃藩置県後は以前神奈川奉行の副長官で当時神奈川県次官参事高木氏に招かれ神奈川県税務官となる。 地券課長となるも2年程で辞職。農民出身の税務官が租税課長となり何かと張り合ってくるのがうっとうしかったこと、親しい高木氏、県令大江卓が神奈川から去ったことなどが原因らしい。 その後、熊谷県大属、官八等。 高崎支庁局長となるが辞職。 麻布広尾町に屋敷を買う。 麻布市役所書記に就職。5年ほどで退職。 いざさらば 天に昇りてまた生きん そう墓石に刻ませたという。享年70歳。 文官ではあっても全く剣が使えないわけではなかったのね。 ガチガチの頑固爺って感じ。 良くも悪くも根っからの武士。というところでしょうか。 このヒトはまだ良く知らないので「夢乃うわ言」これから読みます。 今までのイメージは 文官で戦う気もないので土方さんに枕を投げつけられたヒト。 だけだったけど、どうやら戦いに参加した模様。 しかも三斗小屋。 ちょっと興味が湧いて来ましたよ~。 追記1:「夢乃うわ言」読了 新選組隊長;近藤隼人、そしてその弟に会った 秋月某(登之助のこと?)、容保候にも拝謁。 さらに芳賀某とナントカ新と一緒になる(永倉新八のコトじゃん?)など気になるコメントがいっぱい。 やる気満々なのになんだかタイミングが悪いというか、空回ってる感じで山越えで苦労するも戦闘シーンは…。 この辺をもう少し調べてみたいね。 (「告白の告発」望月始) |